要求
自発的に行動していると疲れない。
80代のおじいさんが急に自転車に乗っていそいそと出かけるようになったんだそう。
驚いた家族が問いただすと近所に出来た老人ホームに出かけていたことが判明。
おじいさん曰く、あそこには若い女性がおるんじゃと。
おじいさんからすれば確かに70代や80代でも年下だものね。
しょぼしょぼしてきたおばあさんに「Ⅰ LOVE YOU」と言う異性が現れたら少なくとも今より元気になることは確かだ。
かつて100歳の双子の姉妹としていちやく時の人となった「きんさんぎんさん」。
TVにひっぱりだこになってから日常に張りが出てきたんでしょうね、ぎんさんの白髪に黒髪が生えてきたとカメラに見せてました。
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大卒業式で言っている
『皆さんも大好きなことを見つけてください。
仕事でも恋愛でも同じです。
仕事は人生の一大事です。
やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。
そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。
決して立ち止まってはいけない。
本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。
すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。
だから、探し続けてください。
絶対に、立ち尽くしてはいけません。』
これは自発的に生きることについて語っている言葉だ。
確かに私自身も稽古で田総先生に会いに行く往復8時間が苦になったことは一度もなかった。
また前後編7時間の舞台の主役をさせていただいた時など、膨大なせりふ量と稽古時間で周囲から大変だねと言われていたが、私自身は一番やりたかった役であり夢中で本番まで走り抜けたことがある。
もちろん肉体的にはキツクはあったけれども、やめたいなどは露ほども思わなかった。本番前は睡眠1~2時間だった。
好きな人に頼まれた仕事は嬉々として行いえても、嫌いな人からの頼まれごとは気が乗らない。
ましては好きなアニメを夢中になって観ている最中に仕事を頼まれれば子供でなくとも気が乗らないのは明白だ。
銀座の酒屋でバイトをしていたとき、10代のころヤクザになりたかったという番頭さんがいた。
東映のヤクザ映画が好きで高倉健さんや鶴田浩二の大ファンという人だ。
あるときその番頭さんに聞こえるように道路から店内に「あれっ、高倉健さんじゃん」と言ったら、店内から60前の番頭さんがダッシュで飛び出してきて驚いたことがある。
嘘だと分かって大目玉を食らったのだが。
60前の男がダッシュで路上に飛び出してくるというのはなかなか見られない景色だ。
一瞬にして彼の中の自発的な要求があふれ出てきたのだ。
健さん、恐るべしである。
大好きな恋人の舐めていた飴玉を口に入れられたら元気になるのに、浮浪者が舐めていた飴玉を口に入れられたらどんな気分になるだろう。
どちらの飴玉についているのも唾液であり消化酵素アミラーゼであることは変わらない。
それなのに全く正反対の結果をもたらしてしまう。
しょぼしょぼになったボールを熱すると、ボールの弾力が戻るように、心身においては自発的な要求にしたがって行動しているかが弾力回復の鍵となる。
その要求は目に見えないが、感じることができる。
この子の要求は?
夫の要求は?
妻の要求は?
考えるのではない。
ただ感じればいい。
野口先生いわく
『治るのには治ろうとする要求があれば治っていく。
治ろうとする要求が起こるのは何かというと痛いのです。
身体が重いのです。
不便なのです。
眠れないのです。
都合が悪いのです。
食欲が無くなるのです。
つまらなくなるのです。
だから食べたくない。
つまり異常感というものがあって、そして回復の要求が起こる。
回復の要求が起こらなければ治っていかない。
皆、苦しいから楽にしてやろう。
痛がっているから止めてやろうと考えます。
そういうこと自体が体の回復する要求を壊しているのではないだろうか。』